2009-01-28
一月もあと三日しか残っていない。
午前は、院生(自分の指導学生ではないのだが)の修士論文の直前チェック。と、もうひとり院生と面談。
午後は、今学期の成績評定を一気に片付けようとする。
あいまに今年度、世話役をしていた授業の引き継ぎ会議。
引き継ぎ内容が多岐にわたって想定外に時間がかかり、相手のM先生には悪いことをしてしまった。
成績評定は、あと一科目が、最後までは終わらず明日に持ち越し。
夕方から『〈帝国〉』の読書会。第八回。第三部の第一章と第二章。
第一章は、帝国主義論/レーニン論
帝国主義=資本主義=外部の内部化のプロセス
このプロセスは法則的に進行するが、その帰結は、法則性に基礎づけられた静かな世界ではない。
カウツキーの超帝国主義は、この点でレーニンにもっとも激しく非難される。
レーニンは、外部の内部化の果てに、外部がない世界=内在性しかない世界をみている。
ゆえにレーニンにとっての選択肢は、〈帝国〉か世界共産主義(という名のマルチチュードの自主管理)か、というものになる。
第二章は、フォーディズム/ケインズ論
ケインズにも、外部のない世界がみえていた。
大転換体制は、いずれも外部の消失への対応。
そのなかでニューディールだけが、外部の消失に直面して超越的権力を回避する契機を持っていた。
脱植民地化→多国籍企業の成長→世界の工場=社会化
このプロセスは、ニューディール体制のグローバル化
フーコー:学校、軍隊、監獄、病院における規律権力@近代
ネグリ/ハート:枠をもたない(工場=社会の)規律権力@ポスト近代
※ケインズがとらえようとしていた根源的な不確実性や「アニマル・スピリッツ」の議論とネグリ/ハートの「外部がない世界」との関係は?
※前期ヒックスのモデル化の外部にあるケインズ(or後期ヒックスorポストケインジアンの問題系)との関係は?
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